beattie’s blog

隠遁のーさつにっき庵

待っている猫

 

今年9歳になった家猫が、お迎えの使者を待っている。

 

腎不全の末期なので回復の見込みはないとわかっているのだけれど、

どうしてもそのままにしておけず、点滴と指での給餌を続けている。

それは自分が後悔したくないからという勝手な理由だ。猫にとっては

迷惑なことだろうと思う。

泣いても仕方ないので、できることをやりながら自分も心の準備を

しておくしかない。

 

家猫と野良猫はどちらが幸せなのかずっと考えてる。

 

 

ALIVE

右脚の手術から2か月。

今月末の左脚の手術に向けて、またウキウキと海外旅行にでも行くかのような

気分で準備を始めております。うそ。海外旅行行く時でさえパッキングが

面倒くさくて前日死にもの狂いでした。でも入院するとなると別。Tシャツは

どれにしようとか新しい寝間着を買おうかとか、ボディクリームはロクシタン

するかボディショップにするかとか、なんでこんなにウキウキやねん。

 

右脚から痛みがなくなった途端に気分も生活も激変したよ。びっくり。

手術前、特に疑問に思わなかったいろんな事が実は痛みのせいだったと

いうのに気づいたのもびっくり。

家から駅まで大した距離ではないのにその距離を歩くのがいやだなーと

感じてたり、電車に乗ると絶対座りたいと思ってたり、もうバイクには

乗らないだろうなと漠然と考えていたり、スニーカー以外の靴を

はきたくなかったり。そして今日、Mのツイート「体調が悪いと音楽が聴けなく

なる」っていうのでハッとした。

手術前、俺はほとんど音楽を聴いていなかった。聴きたくないわけではないし

流れているのは別に構わないのに、あえて何か曲を選んで聴くというのが

何故かできない。だから家人がヘッドフォンをプレゼントしてくれて

spotifyのアカウントを用意してくれ、タブレットとともに病院入りしても

使うのか?これみたいな感じだった。

ところが入院後、いきなりヘッドフォン着けっぱなし状態に。もうその後は

聴くのをやめられない状態。

退院後は何のわだかまりもなく駅まで歩き、電車で座れなくて暗澹たる気分に

なることもなく、レッドウィングを履き寄り道をして帰る。

そして今日ですね、気がつくとネットで新しいブーツを物色していたんですよ。

どんだけブーツふやすつもりやねんというのはまあ置いといて。

春になる前にバイクを車検に出して、新しいヘルメットも買おう。

(なんだよこの死亡フラグみたいな日記)

 

第1ラウンドの記録

右人工股関節全置換手術 第1ラウンド 2016

8月 7日 入院
8月 8日 手術
8月 9日(手術後1日目)点滴タワーとリハビリの先生の支えで歩行数メートル
8月10日( 2日目) 尿管抜ける 点滴タワーと病棟廊下1往復
8月11日( 3日目) 自己血輸血装置管抜ける
8月12日( 4日目) 点滴管抜 自動屈伸装置のリハビリ開始 杖で病棟廊下3往復
8月14日( 6日目) 自動屈伸装置のリハビリ終了 杖にて病棟隣のコンビニまで往復
8月15日( 7日目) リハビリルームにてのリハビリ開始 杖と手すりで低め階段クリア
8月18日(10日目) リハビリルームにて杖なしで歩く まだ腫れあり
8月20日(12日目) 抜糸 傷に痛みなし シャワー浴びる
8月21日(13日目) 杖持って病棟の階段を3階分上り下りする 痛みなし
8月22日(14日目) もう杖いらねー
8月24日(16日目) 退院
8月26日(18日目) 退院後初出社 杖なし 自転車問題なし

第1ラウンド終了

めでたく8月24日(水)に退院いたしました。主治医にもリハビリの先生にも 
週末までいていいよと言われていたのだけれど、
そこで甘えては女がすたるでしょ。女かどうかはさておいて。

翌日8/25は大事を取って家でネットしてた。
帰宅したらいきなり1時就寝10時半起床でブラックサンダーをバリバリ食べる
という堕落っぷり。でも自分ちなので誰にも見とがめられる心配はない。
そして8/26に退院後初出社。杖を持つかどうかちょっと悩んで持たないことに
した。だって駅まで自転車なので。何の苦労もなくすいーっと走りだす。
空気が・・・・空気が秋だった。ああ、俺は本当にひと夏をあそこで
過ごしたんだ。駅で自転車を停めて階段を上る。手すりにつかまらずに上れる!
痛くも怖くもない。下りにほんの少し不安があるものの、手術前の気の重さは
全くなくなっていた。仕事場でも動きが速くなったと言われた。自分でも
驚くほどフットワークが軽い。そしてその時初めて気がついたのだけど、
手術前の俺は確かに痛みを感じていて、それが気分にも影響していたんだなあ。
鎮痛剤を飲んだり辛くて耐えられないような痛みはなかったからそんなに
痛くないと自分で思い込んでる部分があったみたいだ。でも身体の動きは鈍いし、
そんな鈍い動きをしている自分に我慢がならなかった。
そして認めたくなかったけど心のどこかでもう自分のバイクには乗れない
だろうなと思っていた。最後に走りに行ってからもう1年以上たっていた。

第2ラウンドが終わって春になったら、バイクを車検に出してまた走りに行こう。
現代医療最高だ。先生たち、看護師さんたち、本当にどうもありがとう。

絶叫婆を理解する

手術前にはおよそ考えられるありとあらゆる状況について説明を受けて
サインをする。手術にかかわる部分はもちろん、それに伴う麻酔に関する
注意や術後のケアで発生しうるなにがしとか担当者が変わったり重複したり
しながら説明があり、それが確認できるように説明後署名をする。
まあ、騒ぐ奴はそんなのお構いなしに騒ぐんだけどな。
ただ、署名する気分的には八方ふさがりでサラ金にお金を借りに行って
契約書にサインさせられる感じ。だって術後動けないので血栓ができて
それが肺や心臓に送られて大変なことになる可能性がありますよって
言われたって、じゃあ手術やめるかってわけにはいかないわけで。
その怖いことがいっぱい書いてある承諾書には書いてなかったんだけど、
長期入院にともない情緒不安定に陥ることがありますっての付け足した方が
いいんじゃね?って今朝思いました。

今まで、自分の話が長いという点以外は別に問題のない向かいの婆さんが
今朝突然看護師に「もうだめ。もう死ぬ」と言いだしたのですよ。
看護師も俺もびっくりですわ。すぐになだめられておとなしくなったけど、
その後今度はスマップ解散についてみんなが騒いでいるのが理解できない、
なにあれ、なんでそんなに騒いでんのよ!と声を荒げはじめ俺は全身が
固くなりました。そんな事この2週間なかったし、明らかにおかしい感じが
した。看護師は平静を保って刺激しないように相手をしていて、
プロだなーとまた感心したわけだが、一通り主張して婆さんはおとなしくなった。

人の感情には波があるからたまにはそういうこともあるんだろうけど、
このまま婆さんの不安が解消されないまま入院が長引いたら結構精神的に
くるんじゃないだろうか。って、ここまで書いてああ!くる、くるわ!って
気が付いた。同じフロアに絶叫婆がいる。そうか、あれは単なるわがまま
じゃなくてそれだったのか。うるせー婆だなあ、何騒いでんだって俺はいつも
思ってたんだ。でも看護師たちと掃除のおばちゃんは「あの人可哀想なのよ。
気の毒ねぇ」って言ってたから、この人たちどんだけ神なんだってひどく
驚いたんだけど、情緒不安定になるのもわかるわ。確かにかわいそうだな。

誰もがみんな強い精神力を持っているわけではない。弱い人もいる。
その弱いところをケアしてあげる優しさが必要だな。んで、優しさというのは
つまり強さだ。

入院して俺、ちょっと大人になったよ。優しくなったかどうかはわからんが。

勘違いも甚だしい

廊下で歩行練習しているおじさまに「スタスタ歩いてるけどどこが悪いの!?」と
言われました。ちょ、ちょっとまって、俺、ディスられてんの?

2.5センチの脚長差をフォローするためインナーヒールを装着したところ
大変良い感じで、歩行時の不安定感がなくなった。あとはまだ残っている腫れと
むくみ、元々の歩き方の癖を何とかすればもう痛みもないしオーケーっすよ。
階段も手すりがあれば杖なしで上り下りできる。今日退院でも何も問題なかった。
でも今日じゃなくてよかった。台風のせいでひでー雨だよ。

手術について主治医にいろいろ聞いている時、事故で人工股関節を入れることに
なった青年が術後2週間で杖ついて帰ったという話をしていたので、俺もそれを
目標にしようと思った。俺は身体を鍛えてるわけじゃないし青年とは言えない年
だから、実際はもう少しかかるだろうと予測していたものの、きっちり2週間で
杖もいらないぐらいになったので、実はすげーイケてんじゃね?とか思っていたら
今日、30前後かなと思っていたリハビリの先生が21歳だと判明し、よせばいいのに
「じゃ、もしかして先生のお母さんって俺より年下なの?」と聞いてしまい、
お母さんどころかお父さんも俺より年下で目の前が真っ暗になって午後1時間ほど
昼寝をしました。昼寝さいこうです。

エモってりゅ

隣のベッドの人に「入院している人とは思えないですね。お見舞いの人に
見えます」と言われた。お見舞いの人どころか、お見舞いの人より
健康だっちゅーの。あー、もやもやする。これであと1週間過ごすのか。
こういうプレイだと思えばいいのか。

病室にこもっていられる間はまだなにがしか不具合を抱えているのだろうと
無理やり思い込んでいたのだが、ついに我慢ならなくなって談話室に
ヘッドフォン、ルータータブレットを持ち込みドヤ顔でこれを書いて
おります。病院の談話室でドヤ顔ってどうなの。恥ずかしくないの?

しばらく前からスポティファイ最高と言い続けているのはご存知かと思います。
今日は個人的懐メロ祭りをやりました。中学生ぐらいに聴いていたものから
思い出してスポティファイで検索します。あるんだなこれが。驚きっすよ。
多分誰でも経験あると思うけど、多感な頃に聴いた曲というのは一生ついて
回るので、年を取ってから聴いても一瞬でその頃の気分に戻れるのだよな。
そうです、土曜日、学校から帰ってきてFM大阪のポップスベストテンを
聴いてたあの感じ。入院したおかげできちんと曲を聴くということを
思い出したわ。何かをしながらじゃなくて、聴くだけ。んで、頭の中に
よみがえってくるその曲を聴いていたころの自分の感覚を丁寧に思い出す。

うわー、なんか俺もうすぐ死ぬみたいじゃん!!
死なない!死なないぞ!これから病室に戻ってまたexpose聴きながら踊る。