beattie’s blog

隠遁のーさつにっき庵

2日目

今日は実は3日目なんだが、記念すべき2日目の事を書いておきたい。

予定は13時からなので午前中は暇を持て余す。朝から絶食だったけれど、
空腹は感じなかった。多分緊張しているのだろう。何人もの看護師に
「昨日眠れた?」と聞かれた。回診に現れた主治医にも聞かれ、
「はぁ、眠りましたよ」と間抜けに答える。
医師という人種は一種の超人ではないだろうか。それともあれは慣れなのか。
渡辺淳一著作の中で、外科医は病院内の花形だということを書いていた
けれど、それはなんとなくわかる。豪放だけど冷徹な感じ。俺はといえば
緊張はしているけどガチガチというわけではなく、気分的には大変
リラックスしていた。こういうのって多分、信頼関係なんだと思う。
俺は主治医を大変気に入っていたし、全部任せることに何も不安はなかった。
心配もない。

13時に看護師が呼びに来た。歩いて手術室まで向かう。以前別の病院で
手術を受けた時とは全然違う雰囲気だった。なんとなく工場っぽい感じ。
看護師が手続きを済ませ、俺は麻酔医と最終確認をして紙製の帽子をかぶる。
準備が整い廊下を奥まで歩き突き当りの大きな扉の中へ入った。
今まで感じたことのない威圧感、気が弱ければ多分足がすくんだと思う。
手術室内はさらに工場っぽく非現実的で俺は魅了された。少し寒い。
ここが、ここが職場って、この人たち一体なんなの?と無意味なことを考え
ながらさとされるまま手術台に乗った。いや、乗ろうとした。手術台高いよ。
踏み台はないのか。 「背が高いから大丈夫ですよね?」と言われ、
「背は高いけど脚は短いんですよ!」と診察室で100回ぐらい言ったセリフを
繰り返す。でもなんとか乗った。上に布をかぶせられ「寝間着を取り
まーす」と言われる。向こうの方で主治医ともう一人がストレッチを
していた。「ハムストリングを伸ばすんだ!」すげー、手術室すげー、
ちょう非日常。
主治医がそばに来て俺を見下ろし、「気合入ってますんで」と言った。
なんだお前は祭りのヤンキーか。いや、心強いセリフじゃないですか。
「よろしくお願いします」俺は答えた。マスクがかぶせられ「酸素を送り
まーす。深呼吸してくださーい」と言われた。その後麻酔のガスが来るのだな、
と思って深呼吸していたら8回目ぐらいでもう意識がなくなった。
というのは後で思い出したことだ。オフロードでジャンプを失敗して
気を失った時によく似ていた。パチンとテレビを切るように自分がなくなる感じ
がするんだ。そしてそれは戻ってこないとわからない。

「終わりましたよー、髪の毛また染めましたか?また染めた?この前と色が
違うよね」という主治医の声が聞こえる「染めた」攻撃色にしたんだ。
今日の戦いのために。しかし戦ったのは手術室の人たちで、俺は意識飛ばして
倒れてただけだ。2〜3時間ぐらいだったのかな?と思ったら18時になっていた。

ああ、俺はパワーアップされた。体の中にチタンパーツが埋め込まれたのだ。
自分のバイクにも入れてないというのに。

1日目

退屈なのでばきこがチューンドメカばきこになるまでを記録しようと
家人の万全なバックアップの元、病院に乗り込んだ。
今俺はノイズキャンセリングヘッドフォンでシザーシスターズを聞きながら
キーボード付きタブレットでこれを入力している。テザリングOK。
枕元のコンセントには延長コードが刺さってて充電用のUSBアダプタと
ライトニングケーブルがつながっている。
スポティファイの設定をしてもらったので音楽も聞き飽きる心配ないし、
マンガも山ほどメモリに入れてもらった。
積読のままになっていた本の山から何冊か持ってきたけれど、病院内に
図書室があってチェックしたところなかなかの品ぞろえ。前から読みたいと
思っていた「英国一家、日本を食べる」を発見して持ち出してきた。
病室は完璧ににエアコンディショニングされており、家事の必要もない
ばかりか上げ膳据え膳で申し訳ないほど。

素晴らしい環境でそれをめっちゃ喜んでいるのだが、明日起こることに
関しては不思議なほど実感がない。不安もなければ恐怖もない。近い未来に
起こる事をあれこれ想像できなくなってしまった。より動物に近づいたと
いうか退化したというか。俺は昔、石橋を叩いて壊すタイプでどうしようも
ない杞憂ちゃんだったのに。

でも緊張はしてるんだ。そしてその緊張が心地よい。

次の段階へ進む

そしてさらに2年。
結局たどり着いた結論は現代医療最高!だったというオチ。
でもその6年の間にも医療は進歩し続けていたのだよなぁ。
実際、6年前には医師の診断に反発を感じて整体屋を渡り歩いたわけだし。
6年かけて俺が学んだことは主に、
・整体屋は技術よりもメンタルの受け皿になっているケースが多い 
・それによって改善する人も結構いる
・しかし彼らは医師ではないので病気は直せない
・つまり対処療法でしかない 
・・・というわかりきったことばかりだった。

整体に見切りをつけつつあった頃、最後のチャレンジとして行った鍼屋の
施術師が3回目の施術で俺に、「鍼を打っても反応がほとんどない。
話を聞いていると症状の進行も早いので内科的な問題かもしれない。
医者に行ったほうがいい」と言ってくれた。
医師でない人間が診断めいた事を言うのは禁じられていると思うのだが、
これはギリギリの物言いだったかもしれない。彼女には今でも感謝している。

かくしてその後さらに紆余曲折あり、主治医#2を動揺させ、「ええっ、
ちょっとそういうことはゆっくり考えて・・・だって、今日初めて会った
ばかりじゃないですか・・・」と言わしめて今日に至る。

レストア中

衝撃の杖デビューから約4年。
最近はアプローチ方法の違う都心部の整体屋と近所の整体屋を
掛け持ちで通っている。お金はかかるのだけど、どんどん骨と筋肉に詳しくなる
ので勉強会の月謝払ってる感じ。


腰痛仲間の「整体屋は色々通って自分に合う所を見つけるしかないんだよねー」
という悟りきった言葉は本当だった。そもそも腰痛自体原因がわからないので、
その整体屋のアプローチが自分の原因に沿ってるかどうかもわからんし、
腰痛は心因性だという説もあって、整体師との相性もかなり影響するのでは
ないかと俺は思っている。2年半ほど通った理学療法士先生は、初対面時に
「うわぁ、この人合わへんわー」と感じたのだが、通うと決めたのだからと
(それぐらい藁をもつかむ状態だったのよ)がんばった。がんばったがだめ
だった。「はっきり言って最初に来た時からほとんど変わってないんですよねー」
ってお前が言うか。それは俺のせいなのか?他人に何を言われてもあまり
気にしない俺が呆然とするぐらいの衝撃だった。その理学療法士先生は
背が高くてイケメンだったため、元々そういう人に不信感を抱きがちな俺に
さらなる確信を持たせてくれました。
まあ、杖なしで歩けるようにはなったので、それは感謝している。

自分が悪いのは脚だと思っていたが、実は全身がエラいことになっていますよと
はじめて教えてくれたのは今通っている整体屋であった。
たとえば、俺は肩こりが全然なくて背中が痛かったこともないのだけれど、
実はそれは限界を通り越していただけであったらしい。
本来はサスペンションの役割を果たす筋肉が、痛みを出さないように硬直して
ジッドサスになっていたという。リジッドサスのバイクとか乗りたくねーよな。
そーすっと腹側の筋肉の負担が増加して、そっちもリジッドサス化し、
それが今度下肢にきて、持ちネタとあわせて痛みが出てきたという流れ。
もう少しで恐怖のリジッド人間になるところだったぜ。
んでそこでもゆるゆるとやっているのだけれど、何ゆえ遠い上にお値段少々高め
なので、近所に地元価格で中国三千年の知識と技術を施してくれる所を見つけて
そっちへも通っている。中国三千年の知識と技術をもってしても、俺の背中は
硬かったらしく、えらく驚かれました。「硬いデスネー」とニコニコしながら
肘を入れてくれます。(指で押すのをあきらめたらしいw)

こっているなと感じるところを押した時、気持ちいいと感じるのはまだ大丈夫で、
コリが進むと、痛い→くすぐったい→無感覚、になるそうです。
みなさまも取り返しがつかなくなる前にマッサージへ行ってくださいね!

じぶんにやさしく。

心の平穏を得る

中学生ぐらいまで毎年夏休みに父方の祖母の家に遊びに行っていた。
小さい頃は家族で行ってたんだろうけど、小学3年ぐらいからはひとりで行った。
子供ひとり旅みたいなプランが航空会社にあって、スチュワーデスが目的地まで
目を光らせてくれるやつだ。時々、寝台列車で行った。今はなき日本海1号。
そして青函連絡船に4時間揺られた。今から考えるとあれはなんだったんだろうか
と思う。あれは今の自分に続いているのかそれも怪しい感じがする。確かに
記憶はあるのだが、あれって本当に俺だったのかな?みたいな。

ばーさんの家にいたおじさんやおばさんは昔の姿のまま記憶となって何年も
会うことがなくなり、突然葬式や納骨の連絡があったり、亡くなったという
連絡のみだったりする。うちの親戚だけなのか、土地柄なのかわからんが、
そういうのはとても淡々としている。おばさんに昔聞いた話によると、北海道に
来た人々はもともと、人間関係のしがらみを捨てたくて本土からやってきたから
べったりした関係を嫌うんだと。本当かどうかはわからない。決して冷たいわけ
ではないし、必要だというサインがあれば手は貸すけど、サインがなければ余計な
お世話はしないし、困った時はきちんと自分からサインを出す。
北海道の笑いもすごく乾いていて好きだ。皮肉がたっぷり効いているけどサラッ
としていてこっちも乾いた笑いでやり過ごせる。見ず知らずの他人ともそういう
やり取りができて、そこは本当にうらやましい。

で、数十年ぶりに行ったばーさんちにはばーさんが趣味で野菜を作っていた畑が
あったのだが、もう荒れ放題だった。ばーさんが亡くなった後にも1回ぐらい
行ってるが、その時は気がつかなかった。とうもろこしが並んでいたところも、
グースベリーの垣根も、芙蓉が並んで咲いていたところも雑草だらけで意外と
小さかった。オンコの木は茂っていたけど実はなってなかった。
何故か居住者が減るたびに増築された家にはもうおばさんひとりしかいない。
そういうのを今回見て、大変心おだやかになったのだった。

人が生きて死んで、それにともないその人達が所有する土地(モノ)の様子が
変わり、まわりの様子も変化して、最終的に草ボーボーって、国敗れて山河あり
のミニチュア版だよね。アタマではなんとなくそう考えていても、今回目にした
ものが自分の昔の記憶とつながって実感として自分の中に湧いたその感覚が
素晴らしかったんですよ。夏の日射しの下でね、すごく静かで鳥がピーピー
鳴いてんの。涅槃かここはって思いました。そこで生活していた人がいて、
いろんな人生があって、そこにいた人たちの記憶には残るけど、実際その人がどう
考えて生きていたかはやっぱり本人にしかわからないし、どんな人生を送っても
最終的には草ボーボーですよ。これ以上の peace of mind はありませんよ。

映画ブラックスワンを見る

だいぶ前に録画しておいた映画ブラックスワンを見たよ。
気性の激しいねーちゃんが役欲しさに頭がおかしくなって猟奇殺人という想像をしていたが、
実際は全然違ったw むしろ逆。最初のほうでちょっとサスペリアを思い出させるシーンが
あって、ああ、バレエつながりか・・・と思ったけど、キャリーに近いんじゃね?
妄想シーンはジェイコブスラダーを思い出した。


なんでキャリーかっちゅーと、おかんがイカレてるから。んでその娘がひどい目にあうという。
一番印象的だったシーンは、主役が決まった娘におかんがピンク色の巨大なケーキを
準備しててすすめるところ。娘は「緊張してて食欲がないのよ」と断る。するとおかんは
豹変して「わかったわ、じゃあ捨てるわ」とケーキをゴミ箱に捨てようとする。娘はなかば
うんざりした様子で「ごめんなさい」と謝る。おかんは笑みを浮かべてケーキを手に戻ってくる。


これは最近知ったのだが、実際に暴力をふるわなくても、不機嫌になることによって相手を
コントロールしようとするのもDVなんだと。(ドメスティックに限らずいるけどねそういう人)
そういうのが凝縮されたシーンやったわあれは。不機嫌で相手をコントロールしようとするのに
加えて、お前は私の好意を踏みにじったという罪悪感のなすりつけ、さらにケーキを捨てるという
感情的で話の通じないさま。完璧やで、おかん。めっちゃフラッシュバックしたわ。
今でも妹との間で語り草になっている「どうしても友達のところに泊まりに行くっていうなら、
もうお弁当作らないからね!!」という母親の絶叫がですね、フラッシュバックしましたよ。


映画ブラックスワンは悲しい墓守娘の話だった。

山を走る

ミニモトでは何回か走ったことあるけど、オフ車で山を走ったことはなかった。
そこへ山走りのイベントがあるというので参加してきた。
うれしいことにバイクはレンタル。コケても気にならないのでこれはありがたい。
そしてお昼ごはん付き。実際には午後のお茶とおやつ(饅頭)まで用意されていて、
本当にすばらしいイベントでしたよ。いつも感心するんだけど、こういうところ、
かのメーカーの楽しむことに関しての情熱とホスピタリティーは感心するわ。
しかし、「初心者向け」ってどっかに書いてあったような気がしたんだけど、
ほんまか!と突っ込みたくなるセクション多数w いや、初心者でもあれぐらいの
チャレンジ精神がないと山走りは無理よっていうメッセージもふくまれていたのかも。
そうそう、楽しむことに関しては手抜きしないっていう、そういうのも含めて楽しかった。


午前中はご機嫌で走っていたのだが、午後に入って、落ち葉山盛りの急坂登りで
あともう少しというところでエンストしてしまい涙の降車。その後、これまた落ち葉
山盛りの急坂下り。ここは難しいからエンジン切って下りましょうって言われたんだが
その場合の操作ってどうなるんだろとか考えてしまって転倒。ヨロヨロ歩いてちょっと下り、
サポートの人がエンジンかけておいてくれたバイクにまたがってまた下り始めるが
ちょっとあせってまたパタリ。最後の山の展望台からの眺めはすばらしかったなー。
んでその下り、道がちょう狭くてしかも片方崖でものすごく深いわだちがある。
下りながらエンスト。さっきの転倒を思い出し、しかしここでコケたら間違いなく崖下w
途中でなんとかエンジンかけて、必死のパッチで下りきったところで丸太越え。
寄る年波のせいでかなり疲れが出てたけど走りきったよ!


山ではスピードは出さないしバイクも小さくて軽いのでそんなに怖くない。コケてもあまり
痛くないし、落ち葉がフカフカなんだよ!キイチゴも見つけて食べたよ!
いやーオフロードたのしいねぇ。山たのしいねぇ。すてきな一日だったよ!