beattie’s blog

隠遁のーさつにっき庵

甘やかされてりゅ

今朝起きたらめっちゃ健康で、もうここにはいられないという考えが頭に
浮かんだ。病院は具合が悪い人の面倒を見るところだし、だからこそ
看護師さんも優しい。見舞客よりも健康で生き生きしている俺がただぐうたら
しているだけなんて、そんなのだめだよね。しかし抜糸(実際は溶ける糸を
使っているので補強シールみたいなのをはがすだけらしい)は明日だし、
家人は仕事の都合で週明けは休めない。そんな話を主治医にしたら、
「退院もっと先でいいよ、痛いフリしてて!」と言われた。いいのか。

いつも夕方のリハビリが今日は朝だったので、リハビリの先生にも
同じ話をしたら「看護師長とほかの先生の前では痛いフリしとけ」って
なんなのあなたたち。まあ、健康で生き生きはしているのですが、
さすがに普通に歩けるかというとそんなことはなく、普通を装いながら歩くと
筋肉に結構痛みもあり、おそらく10分も歩けば限界だなという感じ。
でも手術して2週間もしないうちに杖なしで歩けるようになるとは。
楽勝じゃね?俺、バリー・シーンじゃね?
でも、骨折の方が痛みが強いだろうな。

皆様に甘やかされて毎日メラメラ回復しております。どうもありがとう!

猫にならう

掃除のおばちゃんに「退院したら寂しいわ」と言われた。俺もしたくないので
ずっと入院させて下さい。

1日絶食して手術した翌朝、味噌汁が衝撃的においしかった話は書いたけど、
その他のおかずもご飯も少ししか食べられなかった。しかも食事後すげー疲れた。
ああ、消化するのって結構体力必要なんだなと気づいた時、ヘルの事を
思い出した。ヘルが大出血でへろへろになっているのを保護した時、2日ぐらい
ほとんど何も食べずにケージ内に設置した段ボールの奥で置物のようにじっと
していた。食べないのは本当に心配になる。でもあれは多分、食べたり消化したり
するエネルギーを惜しんで傷をいやしていたのだと思う。傷の治癒が最優先、
食べるのは2の次。だから食べずにどれだけ持ちこたえられるかが生死を分ける
境目になる。野良猫は少々太っているぐらいがいい。太ってると言ってもあいつら
すげー筋肉だから。

そんな感じで食事を調節していたら、ある程度食べるともういらないという指令が
脳から出るようになった。そして不思議なことに間食も一切ほしくなくなった。
お見舞いに来てくれた人と多少食べたりするけれど前みたいに、開けたら最後
you can't stop ということはなくなった。これが退院後も続けばいいんだけどねぇ。

さっき体重測ってきたけど思ったほど減ってなかった。身長は伸びてたw
チタンの比重は4.5

術後経過報告

誰かこれを読んでいるのかどうか定かではないが、自分の記録なので、
手術当日からの自分の様子について書いておこう。

手術後当日は、全身麻酔が覚めてくると頭がやけにはっきりしていることに
驚いた。麻酔後はぼんやりしているものだと多くの人は思っているような
気がするし俺もそうだったんだけど、声ははっきり聞こえるし頭の中
ちょうクリア。ただその状態は持続しないのと身体は全然動かない。
かなり意識して目を開けようとしないと開かない。だから開けない。
そのうちまたスコーンと飛ぶ。神経ブロック麻酔はしばらく残っているので
痛みはさほどない。ただだるい。ものすごくだるい。翌朝まで酸素マスクが
付けられているらしいんだけど、なんかフィットしないし、気分が悪くなるほど
ビニール臭がして付けてる方が死にそう。その日の夜はそのマスクの
ビニール臭と手術した方の脚がだるさでイーッという感じだった。そのうち
何故か心臓のあたりが痛くなってきて、しばらくするとそのちょうど背中側に
カートで肋骨にヒビが入った時のような痛みが発生。いまだに謎だが
それが辛かった。もー、お願い、早く朝来てと時計を見ては絶望してたわ。
結構辛かったんやな俺w

翌朝、やっとビニール臭たまらんマスクが外された。脚だるい。背中の
ポイント痛い。翌日はずっとその2点のみと戦う。昼前にリハビリの先生が
来て点滴タワーにつかまり、支えながら10歩ほど歩いた。翌日やで。
痛みもなく立ち上がれたことに俺が驚く始末。しかしその夜はまた背中が
痛くてつらかったー。解せないのは手術した部分はなんともないという
ことだった。正直に言うと手術で切開した傷がどこにあるのかわからなかった。
自己輸血装置の管が入っていてそこが多少気になる程度で、切開跡はその
ずっと上にあって、それに気づいたのは2日後だった。

2日目、何度看護師に確認されても痛くないのだから仕方ない。
神経ブロック注射はもう効力を失っているはずなんだけど痛みはないよ。
と思っていたら、ひどくだるく感じていたその感覚が実は痛みなのではないか?
と思い始めて試しに寝る前に痛み止めを飲んでみたらとてもよく眠れたw

3日目、しっこ管が抜ける。喜ばしいがそれは要するに自分でトイレに行かねば
ならんということだ。俺にはまだ自己輸血装置の管と点滴の管が入っている。
トイレに行くにはベッドにセットされた自己輸血装置を外して点滴タワーに
セットしなおし、点滴タワーの電源をひっこ抜かねばならない。今思い出すと、
この期間が一番面倒くさくて難儀した。

4日目、次々管が抜けていくごとに気分は良くなり体は軽くなる。ただ腫れが
ひどい。腰骨の周りが鉄の塊みたいだ。ふくらはぎは弾性ストッキングを
はいているので無事だが、ひざのすぐ下までむくんでパンパン。左脚と比べると
1.7倍ぐらいにはなっている。これなおるのかなとふと不安になりながら、
この日のリハビリは歩行器も松葉杖もかっ飛ばしていきなり杖で歩かされる。
いや、歩けるわ、すげー俺。

5日目、脚の腫れとむくみは相変わらず。しかし歩けるという解放感でかなり
テンションアップ。いきなり病院敷地内のコンビニに出かけたりしてみる。
外暑いな。特筆すべきはここまで。後は多分骨折した人の入院生活と同じ感じ
だと思う。足のむくみは1週間ほど続いた。8日目には少し楽になった。
すると今度は股関節周りのこわばりが辛くなってきた。あとは日々リハビリを
がんばるのみ。

けんこうでたのしい入院生活

入院して知った朝の味噌汁の素晴らしさw
めったに味噌汁を作らないしそれほど必要だとも思っていなかったのですが、
絶食と手術の一日を過ごした翌日の朝食に当然のように味噌汁がついてまして、
具はキャベツで、キャベツの味噌汁とか変なのと思いつつ、パックの牛乳を
飲み干した後にずずずっと飲み込んで仰天しましたわ。これは・・・・ 
朝の味噌汁なんかマザコン男のノスタルジーだと決めつけていたことを
謝罪いたします。

だんだん入院生活に慣れてきて完全に曜日の感覚がなくなった。21時に
寝るので5時に自然に目が覚める。これが自然のリズムかー。などと思いながら
アプリの"sleep cycle"を確認するとたいてい快眠率80%を超えている。
健康的だ。当然肌の調子もよい。洗顔料で顔を洗うこともしていない。
朝晩配られる蒸しタオルで拭くだけ。持ってきたミントクリームは出番なしで
化粧水しか使っていない。若返るでほんま。

7時頃最初の検温等があり、8時頃朝食、その後歯を磨いたり顔を拭いたり
着替えたりする。9時には当日昼担当の看護師があいさつに来てその日の予定を
聞く。拷問機の予約時間とかリハビリの予約とか洗髪や清拭のタオルを
どうするかとか決める。そして本を読んだりしながら10時過ぎの回診を待つ。
今日は女医だった。美人外科医。うほ。後は自由なので、本を読んだり
ネットしたり昼寝したり、リハビリ室行ってがんばったりする。

病院にいると心身ともに健康になるのを感じる。しかし社会性は失われていくな。
仕事に復帰できるのかどうか疑問なんだがなんかもうどうでもええわ。

看護師たち

生まれて初めて洗面台で洗髪したら着ていたTシャツがビショビショになり笑われ
ました。看護師さんたちは当然だがみんな俺より年下で明るくそんな彼女たちに
囲まれて俺はもう本当に幸せです。オッサンとか言われてもいい。

入院して気が付いたのだが、病棟看護師は外来看護師よりも平均的に若い。
外来看護師のあの迫力ある采配ぶりも捨てがたいが、病棟看護師のひたむきさにも
心を掴まれるって俺は一体何を書いているんでしょうか。

自分が入院してみると、彼女たちがなぜこのくそ忙しい職場でわがままな病人相手
(しかも大半は年寄り)にあんなに優しく接することができるのかが不思議で
仕方ないのですよ。会話を聞いている俺の方がキレそうになっているのに、
全くそんなそぶりもなく、そればかりかきちんと持ち上げて結局は言うことを
聞かせてしまうというそのテクニック。これって普通の人間が会得しなければ
いけない技なのではないかと。そこで、初めて看護師さんに洗髪してもらう時に、
イラッとすることはないのか聞くと、それはもう当たり前に「ありますよぅ
人間ですもの」という返事が返ってきた。でも看護学校で面倒くさい奴の
扱い方とか気持ちの落ち着け方を教えてくれるわけではないそうだ。それは
一人一人が現場に出て経験を積んで自分で身に着けていくんですという説明を
聞いて土下座したくなったわ。なにこの人間の差。精神年齢5さいのフロイト
じゃねぇよ死にたい。しかもやってる仕事は常に緊張感あふれてて、手順を
間違うと人が死ぬということもありえる。仕事っぷりを観察していると、
当たり前だけどきちんとこれは何故か?何が原因か?ということをいつも冷静に
考えていて解決に当たるし、常に優先順位をつけながら動いている。
あとチームワークっていうのが徹底されているよなー。医師であれ先輩であれ
同僚であれ、合う合わない好き嫌いはひとまず置いといて仕事はきちんとやろう
というのが伝わる。会社には、あいつが嫌だから協力しないとかいうオッサンが
時々いるんですよ。そういうオッサンは看護学校へ行くべきマジで。

2016/08/12 の記録

10:38 Nine Inch Nailsをヘッドフォンで聴きながら恍惚としていたら人の気配を
感じちらりと目をやったら回診の医師と看護師が呆然と立っていた。ノイキャンの
ヘッドフォンは危険。全く周りの音が聞こえない。爆音のせいもあると思うけど。

14:30 噂には聞いていた自動脚曲げ機登場。うわあ、ちょっとした拷問器具
だよなこれ。115度から試してみて120度にチャレンジしたら問題なかったので
これでしばらく稼働させることになる。拷問器具のくせに、ながらく動かして
いなかった脚にはたいへん気持ちよく寝てしまった。

16:15 俺につながっていた最後の管が抜ける。これでもうトイレへ行くたびに
点滴マシンの電源を引っこ抜いてガラガラ引きずっていく必要もないし、
着替えのたびにナースコールを押さなくても済む。とても解放された気分。

16:35 本日のリハビリ。点滴タワーを撤去され歩行器を向かいの婆さんに
奪われた俺は二足飛びでいきなり杖歩行となった。歩ける。右足にしっかり加重も
できるし当然だが手術前よりも安定していて不安も痛みもない。ただ、左足との
差は手術前よりも広がっていて3センチ近くあるので歩きにくいのよ。
次回の手術がチューナーの本当の腕の見せ所だな。

それにしてもすごくね?たった8センチの切開で、大腿骨の骨頭を露出させて
トンカチで殴って脱臼させて電ノコでぶった切ってチタンパーツと入れ替えて、
4日後に杖1本で歩いてんのよ?まあ、この後2週間のリハビリが待っているん
だけど、それを考えても人工股関節置換手術ってほとんど完成されてると思う。
もし何かを恐れてためらってる人がいたら、もう大丈夫って言ってあげたいわ。
交換をおそれて先延ばしにしている人もいるけど(俺もそうだった)痛みに耐えて
活動的な時間を台無しにするのはもったいないと思う。ガタがきたらまた手術
すればいい。入院生活は快適やし、こんな快適な思いできるんやったら何度でも
入院したいわ。

3日目以降

いや、昨日は4日目だった。
3日目は一体何をやっていたのだろう。確か手術当日より調子が悪くてだるくて
ままならん脚と背中の痛みに耐えながら過ごしたような気がする。

点滴、抗生物質、自己血の輸血、縫合した傷の少し下からは出血を抜き取る管が
出ていてstrykerのCBCにつながっている。あとしっこ管。後でわかったのだが、
超絶に脚がだるいと思っていたらそれは実は痛みだったという。

夕方主治医がやってきて、なぜか本人よりうれしそうに「聞いた?1センチ
長くしておいたよ」と俺に告げた。短くするのはいやだとさんざん騒いだ甲斐が
あったというものだ。ということは短い方の脚と3センチ近くの差があることに
なるのだが大丈夫なのだろうか。
切った骨を見たいと言っていたので丁寧にホルマリン漬けにしておいて
くれたのに、持ち帰るのはいろいろ問題があるらしく、とてもすまなさそうに
された。写真いっぱい取ったからいいよ。それにしても変な話だな、俺の骨
なのに持って帰ってはいけないのか。まあ、ホルマリンは劇薬だからな。
俺の骨頭は生ハムの骨頭より小さく、あれをそのままホルマリンに漬けた
みたいだった。あと、出血は思ったほど多くなく術中の輸血は200ccぐらい
だったとか、筋肉も少し切るだけで済んだとか、最後の縫合で縫合針の先が
0.3mmほど欠けていて、2回レントゲン取って探したけど見つからなかったとか
(いいのかそれ)骨は電ノコみたいなので切るんだよ、切ってる時煙が
出るんだよとか、そんな話をして帰って行った。

リハビリは手術翌日から始まった。力が入らず脚を動かすのがまだつらかったが、
立ち上がることはできたし、リハビリ師に支えられ点滴タワーをつかんで
10歩ほど歩いた。手術から2日目にしっこ管が抜かれ、3日目の今日血抜き管が
抜かれた。すると不思議なことにものすごく元気になってこのまま家に
帰れるんじゃないかみたいな気分になった。まだ点滴ついてるけど。
管はだめだな。管は生きる意欲を失わせる。